テンペラ(油彩テンペラ)画とは③

「なんで絵を描いているんですか?」
「どういうきっかけで画家になったんですか?」
よく聞かれます。

今まで”何となく、気がついたらなってた”と思ってましたが、
改めて「何で20年間も絵を描いているんだろう??」と。

そこで思い出したのが、両親のこと。
思い返せば、二人とも創作活動していました。

なぜ絵を描き始めたか?

母は、とある大学の書道科出身←そういう科があるんですよ!の書家。
一括りに「書」と行っても実に多様で。
一反木綿みたいな
長い巨大な紙にひたすら書いて書道展に出品。書道教室の先生をしながら、自身も
お師匠に習いに遠くまで通い、という日々を送ってました。
そのころは、子供の習い事といえば「書道とそろばん」が定番。教室も、近所のお子さんに通っていただいて繁盛していた記憶があります。

そんな母に「後で好きなものを買ってあげるから〜」と一緒に行く場所は、やっぱり書道展(笑)。
書=モノクロだけの会場をウロウロして、母と知人の話が終わるのを待つ。

子供に書道展は退屈でしたが、時々、文字みたいな絵画みたいな「前衛書」もあり。
これが面白くて!飽きずに何度も眺めていたものです。
母のお友達の書家(前衛書)、山本廣さんの書や略歴など
↑モダンな抽象絵画みたいですよね。

書道展に行かない時は、書道用品の専門店へ。仙人の髭みたいなやたらに穂先が長買ったり、
等身大の巨大な筆↓とか、書道用品だけ売っているお店へ。
巨大筆
↑画像お借りしました。パフォーマンス用大筆っていうらしいです。

書道用品と日本画の画材ってとても似ていて(被っている?)今でも
日本画材コーナーに行くと、懐かしさを覚えます。

あとは、青山の伝統工芸品(漆器や陶器、木工)のお店や、美術館に連れて行ってもらったり。
う〜〜ん、なかなか渋い子供時代かも。

背丈以上ある巨大な書だったため、家には「電動墨すり機」という重量級マシーンがあり。
↑うっかり足の親指をぶつけようもんなら痛いのなんの!
墨すりき
電動墨すり機。もちろん墨は小学生が使う小さなものでなくて、
羊羹サイズの専門家用。それを2本ガシッと固定してからスイッチを入れると
下の水を入れた大きな硯に、大量の墨液が大量に出来上がります。

書道展の締め切りが迫ると「ただいま〜〜」と玄関を開けると、むせるような墨の匂いと
ウイ〜〜ン、ウィ〜ンと墨すり機のモーターが回る音。
巨大な紙をまたいで踏ん張りながら「徹夜しちゃったけど良いのが書けた!」という母の笑顔。

側には、書き損じの大量の書の山。。←一部、夕飯の天ぷらの吸取り紙となる。
母の部屋には、書道関係の本がぎっしり、大量の和紙や、わざわざ中国で買いつけた筆や墨も
ぎっしり。

書道教室の先生で貯めたおこずかいで手に入れた、知人の掛け軸や書やら色紙も
たくさん飾ってあり。

今考えるとちょっと珍しい環境だったかも知れません。
IMG_5071.jpg
父も絵が大好きでした

一方、父は建築関係の官僚だったのですが、大学の建築学科の授業で絵を描いて以降、
ずっと趣味で絵を描いてました(今も、建築学科の生徒さんはデッサンや絵を描くのかしら?)

勤務先である国土交通省の絵画サークルにも所属して、毎年グループ展に出品。
虹の橋をわたった(亡くなった)時も、そのグループ展の会期中で、
「私は●日に会場にいます」という展示のお知らせハガキを出したばかり。
展示のお知らせを持って、会場にいらした方が、もう腰を抜かしたのなんのって、、。

時代がかった上右の写真、おそらく絵画サークルの展覧会のようです。後列左から3人目。
時代の影響でしょうか、この頃は、フォービズムっぽい大胆な油絵を描いてましたね。
現役の超多忙の時代も頑張って出品していたから、絵はかなり好きだったのだろうと思います。

余談ですが、父の最期の日は、地元の絵画教室で絵を描いて、ご機嫌でビールを飲んで、そして神様に呼ばれる。
「まるでプロ画家みたいじゃないか!」と娘は思ったものです。

父も美術展はよく行っていたし、絵画サークルの仲間で、早期退職して画家になった、なんて
方もいて、その方の絵や、他の作家さんの絵や、自分の絵を所狭しと家に飾ってました。
IMGP2362.jpg
↑アトリエ。ここで父は夢中で制作してました。晩年は、油彩から水彩に転向。
画材のせいか、歳を重ねてそういう境地に至ったのか、晩年の作品は、アク(えぐみ?)が抜けた、
穏やかで良い絵に変わっていきました。
「全く、絵ってヒトそのものだなあ!」と実家に帰るたび感心したものです。

父の描く絵は、実際の風景や静物に、実際には見えないものが加えられてることが多くて、
ちょっと不思議な感じでした。
実際のモチーフにはないけれど、そういう風に感じて、どうしても描きたくなるんだそうです。
↑なんか、、、すごく似てる、、ワタシに(笑)

私自身、10代前半までは小説家か詩人になろうと思ってました。
ところが高校生の時に知人から油絵の具一式をプレゼントでいただき、
↑ウインザー&ニュートン社の上質なセット、こんな良いものいただいたからには
ちょっと近所の絵画教室行ってみようかな〜〜♫と入会したところが、たまたま美大受験の予備校。

ちょっと、、のつもりが、がっちり本気になって、今に至ります。

「なんとなく画家になった」と思ってましたが、こうして文章にしてみると
なるべくしてなったのかもしれません。

毎日少しづつ少しづつ影響を受けて、「現在」が出来上がる。
姉(白川由紀)も写真や文筆を生業としてるし、環境の影響って大きいですね。

皆さんは、今のお仕事に就くきっかけってなんですか?
「なんとなく〜」と思っていても、よくよく振りかえると、あっそう言えば!って
思い当たることあるかもしれませんね。

それぞれを作る、背景や歴史を伺うのもまた楽しい。。
今度じっくりお聞かせください^^

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ごくごく簡単にまとめました。青字をクリックでご一読ください↓
生卵を使った絵の具って?【制作のこと①】

え?板も作ってるの??【制作のこと②】

あの巨匠と同じとは!【制作のこと④】

なぜこの画法(油彩テンペラ)?【制作のこと⑤】


丁寧に時間をかけた贅沢な作品は、目に見えない時間を閉じ込めたもの。

それが飾られた場所の空気を本物にします♫

オーダー絵画、お描きいたします
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イタリアで美術を学んだ画家と、楽しい学びの時間

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