私がいた施設は、任意で入る
民間のもの、特定の宗教ではない。
根底には「厳しさが強さを生む」という考え方が強くあり、
とにかく、とにかく時間と規律で細かく区切られたストイックな生活が組まれていた。
カリキュラムの一つにに「断食」がある。
断食と入っても、全く食べないのではない。
一週間、3食の食事のかわりに、
粉ミルクに他の栄養素を溶かしたものを
どんぶり一杯飲み続ける というもの。
最初の一口は甘く美味しいのだが、
さすがに2回目、3回目になると絶えきれず、
かといって残せば、猛烈にお腹がすく。
このジレンマを繰り返し、一週間後には、
贅肉も心の業?もとれ、
食事の有り難さを実感する と
いう仕組みだった。
たしかに反動で、食事の有り難さをメチャメチャ
実感する様になった。
というより、むしろ有り難さをはるかに越えて
食べ物に対する飢餓感すら芽生えた。
そんな頃に、高校の給食を食べる事になるのだが、
昼間働いている子が多く、
自由に使えるお金を持っている為、
「マクドナルドで食べてきたので、
今日は、給食いらない」
「給食は、マズくて食べれない」と
残す同級生も結構いた。
ところが、ストイックな寮生活を
送っていた私からすると、
給食は
「メチャ美味しく、贅沢なもの」。
一口食べて、捨ててしまう給食を
寮のみんなが見たら、なんていうだろうか、、、
なんて考えながら、山盛りのゴミをみていた。
良くも悪くも、高校に通い始めた事で、 生活している施設との社会とのズレを
大きく自覚するようになる。
施設で「絶対」と言われていることに
従う事、寮長の意見に逆らわない事、、、
いろいろ窮屈だな〜と思い始めてきた。
だって、寮ー職場ーガッコウ の往復で乗る
中央線の車内も、よく見ると変な人が結構いる。
でも、その人はちゃんと社会生活を送っている。
意外と、寮の中にいる人と、「外」の人も
変らないところがあるんじゃないか なんて
思い始める。
しばらくたってから寮長と些細な事でもめたのを
きっかけに、寮をでて実家に戻る事になった。
高校2年生だったと思う。
大抵は施設の先生が太鼓判を押す「卒業」
もしくは勝手に飛び出す「脱走」。
実家から高校へ行き続ける自信が
あった訳ではナイが、
先生からは、まだ早い、と大反対されたが、、
とにかく、ここから出てみよう!と
本能というか、心の声というか??
強い気持ちが湧いて、
それに従う事にした。
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今になって思えば、なんと貴重な体験を
したのだろうと思う。
断食も、瞑想も、封筒作りも
親分のもとでの植木屋さんも
本当に貴重な体験だった。
戸塚ヨットスクールも、いろんな意見があるけど、
私は、短期間にこれだけ濃密な時期を過ごしたことで、
ショック療法じゃないが、
比較的、早い社会復帰ができたんじゃないかと思う。
ここに行ってなければ、今も、
煮え切らない観念的な世界を
ふらふらさまよっていたんじゃ、ないだろうか。
やらなきゃ、もう終わりなんだ!本能に近い感覚が
揺さぶられることで、
確実に強くなれた気がする。
丁寧に時間をかけた贅沢な作品は、目に見えない時間を閉じ込めたもの。
それが飾られた場所の空気を本物にします♫
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