父の記憶

1月のこの時期は父が旅立った時期。
 もうこの世にはいないんだな〜としんみり。のはずが面白エピソードが蘇って 
フフフフ、、と笑ってしまうのです。
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文部科学省の官僚だった祖父の赴任先である中国で生まれ9歳まで中国育ち。
幼少期は近所のロシア人や、中国人の子供と
一緒にスケートしたりして遊んだそうです。 
そのせいかよく言えば大陸的。細かい ことは、全く気にしない人でした。

お父さんは世間とかなりズレてるから、私たち娘がしっかりしなくては!という思いは
常にありました。おかげでしっかりと!?
父本人は、超マジメ人間ですが、マジメが度を越してコメディみたいになるタイプ。
誰にも頼まれてないし仕事でもないけど、
何かを研究したり没頭するのが大好きでした。
のんびりするはずの老後も、いつも何かに燃えて机に向かって勉強していたなあ。
寒い冬も、毛布をかぶって机で何かを研究。 そのマジメに取り組むうしろ姿が、
鼠男みたいで思い出しても吹き出しちゃうなあ。

全エネルギーが自分の研究対象に向く分、
世の中の常識的なこと細かい日常のことに全く無頓着。
 珍事件もいっぱいありましたネ。
 ⚪️キャットフードをシーチキンと間違えて
食べちゃったり
⚪️父がお風呂をでたあとは、必ずバスマジックリンの
蓋があいてたり
⚪️ちびこ(娘)の傷に、伴奏じゃなくて、セロテープを貼ったり
 ⚪️お手伝いのOさんが久々に来訪。
おもてなしとして、お茶の代わりにわさび茶漬けを
いれる。
↑ Oさんの湯飲みに、茶漬けのあられが浮いていたことで、
娘にバレる。 

 私の母は、10年近く患い、入退院を繰り返す生活。 
亡くなる2〜3年は、意識のない植物状態だったので、
長く看病を続けた父は、
 「家族に迷惑をかけるのは、絶対イヤだ!
俺は、ここの畑の中でバッタリ逝くんだっ!」 
なんて、いつも冗談言ってました。
 実際、この願望通りに誰にも迷惑かけずに
理想の逝き方、でした。
意識が無くなる日も、朝から趣味の絵画教室へ。 
その日も、「体調が良くない」と言いながらも
野菜をデッサンしてたようです。
 珍しくモノクロのデッサンだったので、
疲れて色付けまで至らなかったのかな〜と
 後日、教室のお仲間に確認したところ、 
「いえいえ、今日は、モノクロのデッサンに
チャレンジするんだって張り切ってました。」 
最期の日も、チャレンジしてたのかあ。。。と
娘はジーンときましたヨ。 
決して上手くはないんですが、丁寧に描いていて
誠実にモチーフに向き合ったのだな、、と。 

絵画は、学生時代からの長〜〜い趣味だったので、
残した絵はたくさんありました。
このデッサンを額装して、私の家に飾ってます。 
 さいごの1日の様子が、小さなスケッチブックから 教室のお友達から、財布に入ってたレシートから、
時間を遡るようにわかって父は理想的な終わりだったんだな、、と
娘は安堵したものでした。
 絵画教室以外も、体操教室、ハイキングのサークル
、、、いろんなコミニティに参加してたので、
 たくさんの人から、いっぱいのエピソードをお聞きしました。
超〜〜マイペースで、超マジメな父の
ちょっと吹き出しちゃうようなエピソードで、 
「ちょっと変わってるけど、真面目で気のいい人」

で、それぞれの会で、
なんやかんや気にかけてもらったり
お世話してもらって、楽しく生活していたようでした。  

葬儀も、お父さんらしく送り出そうよと 姉が言い出し、 湿っぽいことはまったくなし。
 元、実家TOUMAIで開催された 「ヒロちゃんを送る会」は、
 老若男女、お友達からのお笑いエピソードで、 ワハハ〜ワハハと盛り上がりました。
 みんな、あのマイペースに振り回されても、 面白がって、ちゃんとあの個性を受け入れて くれてたんだなあ。
 喪主(姉)の挨拶も、やっぱり面白ばなし。
 親子ゲンカで、激昂した父が 姉の目玉に噛み付いた(実話)ことだったかな。
 しばらく、姉の目の周り,あざで青かったっけ。 
「献杯!」で、しんみり始まるはずが 「カンパ〜イ❤️あ、あれっ?!間違えちゃったっ!」 の喪主の言葉で、会場はまた爆笑。
 若い方ならもっと違った送り出し方に なるけれど、父はいつも 「真剣勝負だっ!」「トコトンっ!」 ちょっと吹き出しちゃうくらいの真剣さで 日々をおくっていたし
「俺は、いつ逝っても悔いはないヨ!」と 常々口にしてたこと、
 父の同窓生やお友達の、喪中のお知らせが年々増えてきたこと、
 父がベットに横たわる時間が確実に増えていて帰省のたびに父の老いを実感していたこと。
 私たち娘も、いつ何時どうなってもおかしくないと どこかで覚悟していたので、
 ”来るべき時が来た”のだと 冷静に受け止めることが、できたのだと思います。

 お別れ会に集まってくれた人の大半は 父と同じような白髪の世代で、
 そのお世話になった方たちの、これからの生活の 平穏を願わずにはいられませんでした。

 そういや、お世話になった方の中に 体操教室のお仲間がいました。 
なんでも、女性だらけのその教室で、 男性は父のみ。
たった一人の貴重なメンズ として、皆さんとても大切にして くださったそうです。
 先生の隣は、特等席なんですが、 父は遅れて行っても「どうぞ、どうぞ❤️」と その特等席に案内していただいたそう!

あっ、そういえば〜 体調が悪い日も「体操教室へ行く」と ベットから出て、
いそいそと支度していたことを 思い出しました。 
そうかあ、そういうことだったのかあ〜〜〜〜 !! その証拠記事(?)を
教室のお仲間が後日わざわざ郵送してくれました。 P1210094_convert_20160116184315.jpg 
旅立った後に知る、人間関係、属していたコミニティ。 
これをみて、どなたか男性の入会者があったといいね。

みなさんに本当にとても良くしていただいたようです。
いろんな方にお世話になりました。
そして、77年間どうも、ありがとうございました。

丁寧に時間をかけた贅沢な作品は、目に見えない時間を閉じ込めたもの。
それが飾られた場所の空気を本物にします♫

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イタリアで美術を学んだ画家と、楽しい学びの時間

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