父のこと

7年前から1月はしんみりする月になった。

父が旅立った1月は、思い出が蘇り寂しさに襲われる。
でも、同じくらい面白エピソードも蘇る。やっぱり吹き出しちゃう、そんな父の話。
IMG_3293のコピー
祖父は文部科学省の官僚。祖父の赴任先、中国で誕生し、そのまま9歳まで過ごす。

幼少期は近所の中国人やロシア人の子供たちで一緒にスケートしたりして遊んだとか。
そのせいか、よく言えば大陸的。細かいことを気にしないタイプだった。
IMG_3292のコピー
姉妹4人+父の5人兄弟。祖母は、この頃珍しいワーキングマザー(教師)。
女系一家だったので「女性には頭が上がらない」なんて冗談っぽく言っていた。

絵が大好きだった

大学の建築学科を出て、国土交通省の官僚に。
建築学科で絵の授業があるんです。そこから絵画にはまったらしい。
IMG_3299のコピー
学生時代の展覧会にて。同窓生で省庁をやめて画家になった方もいた。

社会人、家庭をもってからも絵は続けていた。
毎年、省庁OB会のグループ展覧会に出品するのが楽しみだったようで、
有楽町・交通会館のシルバーサロンは毎年恒例の展覧会場。

旅立った時も、まさにこの展覧会に参加中。
”ぜひ、絵を見にきて下さい!”という父の案内状で銀座に行かれたご高齢の友人たち。
「あれ?白川さん今日いるはずですが、ランチですか?」
「いえ、実はお亡くなりに、、」
「ええーーーーーーーーーーーーー!!?」

このみんなを唖然とさせる感じ、父らしくて、悲しいのに笑っちゃう。

目に見えないものを描く

そんな父の描く絵は、瓶や、花、果物はモチーフそのままだが、
ん?脇に描き添えられた謎の「丸い玉」。ヒトダマ?何だ?!

教室で描いた絵に、あとから付け足したものだそう。 
父曰く、謎の丸い玉=「エネルギーの塊のような、情熱のようなもの」らしい。
titinoe-seibutu.jpg 
周りの人や先生は、この謎の玉にびっくりしたと思う。
(私だったら絶対に聞く)

「何か言われなかった?」と聞いたら「いや別に」

”マイペースな白川さん”を周りの方は受け入れていてくれたらしい。
まあ、教室の先生が指摘しても、全く意に介さず描き続けるに違いない。
目に見えないものを、本能のままに、あくまで淡々と描いていたのだろう。

今みると、ちょっとシュールな所が妙に自分の絵に似てる気がする。
やっぱり親子で似てたんだなあ
titi-atorie.jpg 
父のアトリエ。晩年の水彩画はアクが抜けて澄んでおり、なかなか良いのです
旅立った日に描いたデッサン。
titinoe-dessan.jpg
体調が悪くて色付けできず、途中で終わったのかと思ったら
「モノクロのデッサンに初めてチャレンジだと、張り切ってました。」 
教室のお仲間が教えてくれた、その日の父。

最後までチャレンジしてたのかあ、、ジーンときました。
決して上手くはない趣味の絵だけど。丁寧に描いて、丁寧に過ごしたのだと。
素晴らしい1日を過ごせていたのだ。

「お前もそうやって生きればいいんだよ」
小さなデッサンを見るたび、そう言われてる気がする。
 
結構、みんなに好かれていた

父は、トコトン何かを突き詰めるとか、 ひたすら研究するのは大得意。
誰にも頼まれてないし仕事でもないけど、 老後も何かを研究したり没頭していた。
いつも何かに燃えて机で勉強していたなあ。壁には目標や計画を貼った紙がいっぱい。

全エネルギーが自分の研究対象に向く分、常識的なこと細かい日常のことに全く無頓着。
子供でも知ってるようなことを知らない(覚えようとしない)。

⚪️キャットフードをシーチキンと間違えて食べていた
⚪️バスマジックリンとシャンプーを毎回間違えていた
⚪️ちびこ(娘)の傷に絆創膏じゃなくてセロテープを貼って号泣された
⚪️大事なお客様に、お茶と間違え”わさび茶漬け”でもてなしていた。
⚪️庭に猿が出没して大騒ぎだった時、隣のアパートの人に「ペットですか?」と真顔で質問。
⚪️親子ゲンカで激昂した父が、姉の目玉に噛み付いた

情熱のまま突っ走るので、周りがびっくりするようなこともいっぱい。
絵画教室、体操教室、ハイキングのサークル 、、、属したコミニティでの
父の面白エピソードも、後日たくさん教えてもらった。

浮世離れしたところが心配と、周りの親切な方々がぞれぞれ気にかけてくださった様子。
なかなか楽しく生活していたようだった。
 IMG_7806_convert_20140123105027_20200223123747d27.jpg
総評は「(ちょっと変わってるけど)真面目で気のいい人」

元、実家TOUMAIで開催された葬儀= 「ヒロちゃんを送る会」は、
老若男女、お友達からの、お笑いエピソードで爆笑の連続で終わった。

(喪主)も献杯の挨拶のはずが、「乾杯!」って思い切り間違えていた)

みんな、あのマイペースに振り回されても、 面白がって受け入れてくれていたんだ。
胸が熱くなった。

そうだ。
むちゃくちゃで、マイペースすぎるし頑固だから、腹が立ったこと何度もあるけど、
不器用で(ちょっと方向がズレていたけど)愛情深い父だった。

母が病気になった分、男手一つで懸命に娘たちを育てた。
必死で、私たちを引っ張ってくれたのだ。

不器用だけど、一生懸命生きる背中に勇気をもらった。

どうも、ありがとう。

丁寧に時間をかけた贅沢な作品は、目に見えない時間を閉じ込めたもの。
それが飾られた場所の空気を本物にします♫

オーダー絵画、お描きいたします
画家 白川美紀の作品やプロフィールはこちら↓
公式FB・ Instagram ・blog 日々発信、よかったら繋がってくださいね
イタリアで美術を学んだ画家と、楽しい学びの時間

コメント

非公開コメント

トラックバック