震災のこと 3

激しい揺れの後、余震がかなりの頻度で続く。
 私達は、近所の避難所(中学校)に向かった。 
それまで町内会の避難訓練に参加したり、イザとなったら
こうしようと話はしていたけど、
「本当のイザ」となると
どうすればいいのかわからなくなる。 
避難所にむかったものの、特に情報があるわけでもなく
沢山の人が出たり入ったり、、、、
 誰の指示があるわけでもなく
自宅にいるよりココにいるという選択肢の人だけが 
体育館におかれたパイプ椅子に座ってジッとしている。 

私達もどうする?どうする?と ただ椅子に座っていたが、
その中でも何度も大きな揺れがあり、
その度に
体育館の大きなライトがギシッギシッと揺れた。 
よく見ると壁の一部がはがれてむき出しだった。 
最初は陽の光が差し込んでいたが、
時間の経過と共に暗さと寒さが増し、
体育館から
畳が敷かれてる武道場?のスペースに移動した。 

その頃には、集まってくる人もだいぶ増えて 
「怪我をしてる人は申し出て下さい!」とか 
「集まっている人は、名簿に名前を記入を〜」
 「寒い人には毛布お渡しします!」
等々、、、
拡声マイクで先生方?の指示が出始める。
 災害マニュアルが起動し始めたらしい。 

集まってくる人も自宅の毛布や荷物を抱えた人が
増えて、ここで一夜を明かすようである。
 窓から見える景色は、ちょうど夕焼けの時間で
それはそれは美しいものだったが、
急に
雪が降り始めたかと思うと晴れ渡り、また
雪が降り、、、
何度か奇妙な繰り返しをした。 

四畳のスペースだろうか、見知らぬ老夫婦、
20代前半の女性2人、私達3人で一緒に過ごした。
 携帯のテレビをつけると10×10センチの
小さな画面に津波の映像やら、
福島原発の非常事態宣言が
出たり、新宿駅の大混雑が映り、「大変なことになってる!」
 パートナーが何度もつぶやく。
 だが、小さいテレビ画面ではにわかに信じがたい。 
おぼろげながら、さっきの地震が自分の想像をこえて
遥かに大きいものらしい ということは感じた。

結局、被害の全容を理解できたのは自宅に戻って3日目、
地震から3日目の朝、電気が復旧してテレビを見てからだ。 

ラジオでもある程度情報は入っていたが、映像を見るまでは
なかなか実感がわかなかった。
 携帯を充電中に揺れが来て、そのまま停電になった為、
すでにバッテリーの表示が赤く光ってる。
 とりあえずパートナーの実家と私の実家に連絡した。 
(このあと、私の携帯は電源が完全に落ちてしまった。
電気の復旧後も電話の通じづらい時期が続く) 

それから長い夜がはじまったが、寒さは厳しかった。 
ダウンジャケットとニットの帽子があっても寒い。
 長い夜の中で、空腹を覚え始める。
おにぎりや水、クラッカーなどの備蓄食料が
配布されはじめたが、その時約1000人がいたらしい。 
100名分しか備蓄がないとのことで、希望者だけもらう。 
「すみません、水は一人につき紙カップ一杯です」
と言われた時に、
避難訓練ではない本当の災害時なんだなと
変なリアリティを感じた。

 とりあえず丸くなったが、なかなか眠れない。 
その間もなんども余震がくる。ざわめいたり、悲鳴が
上がったり、、、。 
何もできず、ただ「どうにかなる」のを待つだけ。
 真っ暗な夜に、NTTのビルが見えた。
 災害時には自家発電が動くらしく、建物全体がキラキラと
白く光り、とても眩しかった。
 中では復旧作業に追われているんだろうな。 
 今、私達は何も出来ない。
 じっとしているしかないんだと、何度も思った。
陽の光が差し込む朝が待ち遠しかった。

丁寧に時間をかけた贅沢な作品は、目に見えない時間を閉じ込めたもの。
それが飾られた場所の空気を本物にします♫

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イタリアで美術を学んだ画家と、楽しい学びの時間

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