震災のこと 2

それは、のんびりした日だった。 

まさか日本を揺るがす様な大事件が起きるなんて
想像できないくらい、
いつもと変わらない一日だった。

 翌日に絵画教室の予定があったので、そこで使う石や
画材を袋に詰めて準備したり、
 13日(日)から高尾の実家に数日間で戻る予定で、
 その為の荷物を整理したりで家の中で過ごしていた。
 14時頃に食材を配達してくれる業者さんがきて、
一度受け取ったものの
一箱分間違えてしまったと
再配達にきて、その食材を冷蔵庫に移しているときだった。

 ガタガタガタ、、、どこからともなく物がぶつかる音が
聞こえたと思ったら
その瞬間、とても立っていられない
程の揺れが始まり、一斉にあちこちで物が落ちる音、
 激しくぶつかる音が始まった。 
あまりにも一斉に物が落ちたり、割れたり、倒れたり
したので、
何をどうすればいいのか一瞬呆然となった。

 揺れは全くおさまることなく、体を激しく持って行かれて
恐怖心で一杯になったが、
とりあえず床をハイハイしていた
おちびを抱えて、食卓の下に飛び込んだ。
 その間も物は落ち続け、あちこちででガシャン、バターン、
ガタガタガタと 
部屋のあちこちでものすごい音が続く。
 食卓の下に潜り込んでも、床が持ち上がるというか、
ものすごい力で床全体、
いや、建物全体が激しく
揺れるので、食卓の脚に両手で必死でしがみついてないと
体が外に出てしまいそうになった。
 形容するならジェットコースターで激しく揺さぶられて
ひたすら体が持って行かれる感じに近いだろうか。 
 その数日前から小さな地震は数回あり、そろそろ大地震が
くるのかな〜なんて話していたはいた。
 宮城県沖地震は99%くると言われていて、
それなりにだけど非常食や水を準備して、
 少しは気持ちの覚悟も出来ていたはずなのだったが、、、
 
ただ、身を守るだけで精一杯の激しい揺れが
どれくらい続いただろうか? 
ちょっとおさまりかけたかも、、、と思うと
すぐ激しい揺れが始まる。
 直ぐそばのテレビが(固定はしてたが)今にも
倒れんばかりにグワーングワーンと揺れて、
それと同時にテレビや、照明、あらゆる電気のスイッチが
プツッと飛び、停電となった。

 揺れている間は、激しく音が行き交うが、
ふとおさまると停電独特の奇妙な静けさがある。 
机に置いてあったテレピン(油絵の揮発性油)の瓶が
ドンドン隅へ移動し、
机から転がり落ちる寸前だったので、
とっさに食卓から飛び出して、瓶を床に置いた。

 激しい揺れは中々おさまらずに、一体これから
どうなってしまうのだ?
と不安がこみ上げ、
もしかして、これで死ぬのかな?と ふと思った。
 揺れている間は、ただただジッとしてるほかなく
その時間はとてつもなく長く30分間位に感じたが、
後からわずか5分程の揺れだったと知る。

 そうこうしていてるうちに、玄関のドアが開き、
職場から駆けつけたパートナーが
「すぐ外へ出よう!」
と 飛び込んできた。
 無我夢中で、必要そうな物をカバンに放り込み、
おちびをベビーカーに乗せそれごと階段を下ろし
(エレベーターは当然止まっている) 
外に出ると、同じマンションの住人、近所の会社員、、
沢山の人が不安そうに、
大きく揺れ続ける電線を見つめている。

 外で立っている間も、大きな揺れがくる。
 今までの地震とは明らかに違う。
 一体何が起きているのだ?
と奇妙な不安は抱きつつも、
もうすぐやむだろう、もうこれで揺れはおさまるはずと
何度も期待したが、何度も揺れ続けた。

 近くの中学校の体育館が避難所になっていると教えられ、
そこへ向かった。 
まだ外は明るく、やっとおさまったかもという安堵感、
そして「助かった、、、」という気持ちで、
 とりあえず避難所に行って様子をみようと、その時は
それほど切迫感はなかった。

 避難所にくるまでの道すがら、壁の一部が剥がれおちた家、
ブロック塀が崩れた家を見かけたが、
それほど大きい
被害は目にせず、2〜3日たてば、元の生活が始まるだろう、
 2〜3日間はゴタゴタするのかもと 楽観視していた。
 慌ててどこかへ行く人も見かけたが、大抵の人は
落ち着きを取り戻して、普通に歩いていた。
 きっとあのときは、こんなことになるなんて
誰も予想してなかったのだと思う。






























丁寧に時間をかけた贅沢な作品は、目に見えない時間を閉じ込めたもの。
それが飾られた場所の空気を本物にします♫

オーダー絵画、お描きいたします
画家 白川美紀の作品やプロフィールはこちら↓
公式FB・ Instagram ・blog 日々発信、よかったら繋がってくださいね
イタリアで美術を学んだ画家と、楽しい学びの時間

コメント

非公開コメント